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作家

白洲次郎 占領を背負った男

白洲次郎 占領を背負った男

 

2巻構成です ただし分厚い一冊のタイプもあるので

それも良い感じです

不愛想 じゃない武相莊という町田の庵に晩年は蟄居し

過ごされたそうです

町田は生まれ故郷なので

なんか懐かしさと誇らしさを感じます

こういう史実に出てくる「粋」な大人を描きたく

手に取りました

19部位構成

見出しで19あります

  1. 稀代の目利き
  2. 育ちのいい生粋の野蛮人
  3. ケンブリッジ大学クレアカレッジ
  4. 近衛文麿と吉田茂
  5. 終戦連絡事務局
  6. 憤死
  7. 真珠の首飾り
  8. ジープウエイレター
  9. 今に見ていろという気持ち抑えきれス
  10. 海賊と儒学者と実業家のDNA
  11. 巻き返し
  12. ケースデイスとの最終決戦
  13. 通商産業省創設
  14. 只見川電源開発
  15. 講和と独立
  16. そして日の丸は再び揚がった
  17. 素顔の白洲次郎
  18. 日本一格好いい男
  19. 葬式無用、戒名不用

もうどこきりとっても事実なの?って感じです

マッカーサーが天皇の贈り物をゾンザイに扱ったら激怒し持って帰ろうとしたり

中曽根首相(当時)がSP連れてゴルフに来た際はSPを入れさせずに

ゴルフをさせ心配で双眼鏡で観察している連中に「バードウオッチか?」と言ったり

もう、しびれまくるEP満載です

AIどうよ知っている?

ちょっと聞いて要約してもらいます

白洲次郎は、1902年に兵庫県で生まれ、幼少期から英国文化に親しみ、ケンブリッジ大学で学ぶなど、国際的な教育を受けました。戦後、彼は吉田茂の側近として政界に身を置き、日本国憲法制定に大きく関与しました。しかし、彼は常に表舞台からは距離を置き、在野の精神を大切にした生活を送りました。

次郎は通商産業省創設に奔走し、その後も多くの企業で重要な役割を果たしましたが、自己の信条に従い、必要と感じれば容易にその立場を退くことができました。彼のこのような行動は「紳士の哲学」と称され、次郎の個性とプリンシプルを象徴しています。

彼の趣味は多岐にわたり、スポーツカー、特にブガッティやベントレーを愛し、長期にわたる英国留学中に貴族的なライフスタイルを体験しました。また、写真や自動車などに関して深い興味を持ち、彼の車は現在もワク井ミュージアムに展示されています。

次郎は実業界での経歴も際立っており、東北電力の会長として、電力供給の基盤を築いた他、日本航空や日本製鉄など多数の企業で重要な役割を果たしました。彼の経済に対する哲学は、日本の復興と発展に大きな影響を与えました。

サンフランシスコ講和会議では、全権団顧問として活躍し、日本の主権回復に寄与しました。彼はその後、実業界に戻り、多くの企業で要職を歴任しました。

次郎の私生活も非常に豊かで、趣味や嗜好は多岐にわたりました。彼は高級車に乗り、洗練されたファッションを好み、優れたファッションセンスを持っていました。また、軽井沢の別荘では、多くの著名人と交流し、豊かな社会生活を送っていました。

1985年に83歳で亡くなるまで、白洲次郎はその生涯で日本の近代化と国際化に大きく貢献し、多方面でその才能を発揮しました。彼の生き方は、多くの人に影響を与え、日本国内外で高い評価を受けています。白洲次郎の遺産は今もなお、多くの人々に語り継がれ、彼の生き方や哲学は、時代を超えて尊敬されています。

-作家